退屈は生産的?未来のライフスタイルを再考してみる

    Henry Ford & Steve Jobs on Vimeo by Tier10 Marketing

    『私は退屈を大いに信じている。テクノロジーはどれも素晴らしいが、することがないのもまた素晴らしい。』これは、かの有名なスティーブ・ジョブズの名言です。

    彼は、退屈な時間というのは好奇心を掻き立ててくれるとても重要なものと考えていました。

    しかし一般的に退屈といえば、「退屈な毎日にサヨナラしよう」だとか「退屈な人と思われないために」など、ネガティブなイメージで語られることが多いと思います。

    はたして、皆さんにとって「退屈」とは生産的なものですか?

    退屈と子ども

    私はとある保育園で、数年間子どもと関わる仕事をした経験があります。

    そこの園長先生は、保育に対して強い信念をもった方で、「保育とは単なる子守りではない。1人の人間として健全に発達するためには、乳幼児期の関わり方が非常に重要である」ということを常々おっしゃっていました。

    その園では、「先生の指示でみんな一斉に同じことをする」「この時間には決まって〇〇をする」ということが一切なく、昼食とおやつの時間以外はみんな思い思いに過ごしていました。

    友達の輪の中で遊ぶ子もいれば、テラスでひたすらゴロゴロ寝転がったり、アリの巣をじっと観察する子。中には一日中ただじーっと風車が回るのをながめている子もいます。

    保育士さんたちは、「みんなと一緒に遊ぼう」などと声をかけることもなく、かといって決して放任しているわけでもなく、そんな子どもたちのありのままの姿を、ただ温かく見守っていました。

    この園の園長先生は、子どもはそれぞれに素晴らしい力を持っており、大人にできるのは、子ども自身の伸びる力を邪魔しないことだと考えていたのです。

    私は当時、一日中回る風車をながめている子がとても気になっていました。

    「少しはお友達と遊ばないと、情緒の発達に良くないのでは?」などと心配したこともありました。

    でも、間近でふとその子の顔を見てみると、目をキラキラさせてまあ嬉しそうなこと!見ているこちらまで嬉しくなってしまいました。

    その表情を見たとき、私は野暮な心配をしてしまったなと思ったものです。

    Smiles

    ところで、その保育園の近くには、別の幼稚園が建っていました。

    この幼稚園はまったく対照的で、プールや体育館などの設備が整っており、体操・スイミングや外国人講師による英語教育を売りにしていました。何年も働いていると、0歳児で入ってきた子たちも年長さんになり、卒園して地域の小中学校へと進学していきます。

    私の働いていた保育園と、近くの幼稚園のそれぞれの卒園児たちがどうなったかは、遊びにきた子どもたちや保護者から自然と耳に入ってきます。

    面白いことに、芸術やスポーツ方面で素晴らしい成績をあげたり、自分たちで生徒会の仕組みを作り変えたりといった活躍をしていたのは、ほぼ全てが保育園出身の子どもたちだったのです。

    精神分析学者のアダム・フィリップス氏は、その著書の中で『退屈する能力は、子どもの成長の成果である』と述べています。

    大人は子どものために良かれと思い、色々な所に連れて行ったり習い事をさせたりしがちです。

    しかし、子どもの内なる力を伸ばすには、興味のあることを自分自身で見つける過程が大事で、そのためには、何もない退屈な時間を費やすことが必要なのです。

    そう、あの風車を一日中ながめていた子どものように。

    退屈と技術的特異点

    Robotics and artificial intelligence

    では、私達大人はどうかというと、特に現代人は退屈を感じる機会じたいが少ないですよね。

    単純に忙しいからというのもありますが、なんとなく手持ち無沙汰だなあと感じても、気が付いたらスマホをいじっていませんか?

    「退屈だなあ」と感じる前に、手の中のスマホが全ての要求にこたえてくれます。

    しかし、もちろん子どもと同じように、退屈は大人にとっても、思考や想像力を育ててくれる大切な時間だということは変わりません。

    ここで、「退屈とは生産的である」と結論付けたいところですが、私にはなんとなく違和感があるのです。

    ちょっと突飛な話になりますが、「技術的特異点(シンギュラリティ)」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。

    アメリカの発明家・未来学者のレイ・カーツワイルによれば、このまま人工知能(AI)の開発が進むと、AIが人間の知能を超えて、AI自身がAIを生み出すことが可能になるそうです。

    この現象を「技術的特異点」と呼びます。

    彼の説によると、それは2045年頃に起こり、人類の歴史上かつてないほどの大変革が起こるそうです。

    もちろん未来のことですから分かりませんが、私はこの説をわりと本気で信じています。映画や漫画みたいで、なんだかワクワクしませんか?

    AIの進化によって労働の必要がなくなったとすれば、人間は人生を楽しむことに重きをおくようになるでしょう

    そうすると、「役に立つこと」よりも「面白いこと」、生産性よりも創造性が大事になってきます。

    何が言いたいかというと、「退屈は生産的か否か」というのは、もはやナンセンスかもしれないということ。

    結論:退屈は創造的である。

    さあ、とりあえずスマホを手放して、何もしない退屈な時間を受け入れてみましょう。

    来たるべき「技術的特異点」は、もうすぐそこかもしれませんよ!

     

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